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あるとき日本映画学校の宴席で今村昌平がスピーチした。
某監督に正常位の素晴らしさを力説されたというどうでもいい話で、結論は「諸君、正常位を馬鹿にしてはいけない」というものであった。
映画の脚本家に要求されるのは、どんなジャンルでも書けることだ。俺もこれまで時代劇、ホラー、サスペンス、ミステリー、コメディ、青春、戦争、恋愛、ヤクザ、ファンタジーなど何でも書いてきた。純文学から漫画まで原作になるし、モデルがいる実話だって脚本にしなければならない。俺はオリジナル脚本も多いから常にいろんなことを勉強しておかないといけない。
しかし、ストーリーを作るときに悩んだ記憶はない。
以前、テーマは必要ない、必要なのはアイディアだと書いた。アイディアを物語のパターンに嵌めていけば誰でも書ける、と。今回はそのパターン、「型」についての話だ。
ストーリーにはいくつかの型があり、どんな映画でも小説でも分解していけば何かの「型」におさまる。まずは「型」のストックが必要だ。俺の場合、子供の頃にやたらと本を読んだことで「型」を覚えたのだと思う。子供だから同じ本を繰り返し暗記するほど読む。シャーロック・ホームズやルパン、明智小五郎はもちろん、シートン、ファーブルからジュール・ベルヌ、アストリッド・リンドグレーン、エーリッヒ・ケストナー、C・S・ルイス、ヒュー・ロフティング、アーサー・ランサム、トーベ・ヤンソン、オトフリート・プロイスラー、斎藤隆介等々、世界各国の素晴らしい作品を浴びるように、舐めるように読んだ。
児童文学を馬鹿にしてはいけない。良質な児童文学は、子供に理想を伝えるために一流の作家が真剣に書いたもので、価値感や生き方について多くを教えてくれる。大人になった今読み返しても感動する。何より面白い。それらは血肉となり今でも俺の精神的財産になっている。ストーリーテラーと呼ばれる作家たちはそういう経験をしていることが多いんじゃないか(宮崎駿監督は学生時代、児童文学研究会に所属していたんじゃなかったっけ?)。
ちなみに漫画も読んだけど、漫画はすぐ読めてしまうのでコスト・パフォーマンスが悪い。水木しげる他興味のある数人の作家の単行本は熟読したが、漫画雑誌は読まなかった。
小学校高学年からは大人の本も読みはじめ、やがて映画や演劇に夢中になっていった。そこでも次々に新しい「型」と出会い、感動し、吸収することになる。落語も大好きでいつも聴いていた。ついでに講談や浪曲も聴いてしまう。だから意識せずに多くの「型」をストックしていたわけです。
「型」を壊すのではなく緩め揺さぶって新しいメロディを探す。
「型」の中にこういう人を投入すると……化学変化が起こる。