魔王 | なまず映画、あるいは第二の選択

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2016年7月25日

小沢昭一の遺したものについて考える


なまず映画夏の上映は8月6日目黒のお寺・高福院、8月20日名古屋劇団pH-7地下劇場、9月17日目白庭園の赤鳥庵にて敢行いたします! いずれも『魔王』『赤の女王』両作上映、目白庭園では今村昌平のドキュメンタリー『からゆきさん』『ブブアンの海賊』の上映もあります。その先もいろいろな動きがありますので、お楽しみに!

今回は小沢昭一の話をしたい。
小沢さんは東京蒲田生まれ、新劇(俳優座)出身で映画の名脇役(『人類学入門』をはじめ主演映画も何本もある)、TVも試験放送のときから出演している。早稲田大学の落語研究会(芸能文化)を創立し、正岡容門下(兄弟子に桂米朝)、トルコ(今のソープランド)の達人として知られ、明治村村長、新劇俳優協会会長、ハーモニカ奏者、永六輔・野坂昭如と中年御三家を名乗って武道館を満員札止めにし、TBSラジオ『小沢昭一的こころ』は40年続いて、変哲の号で句集を出している俳人でもある。

映画、TV、ラジオ、舞台、出版と多芸多彩なその経歴の中で、何より凄いのは、小沢昭一が実演者でありながら芸能史研究家でもあったということだ。
四十歳のとき、芸能界で活躍していた小沢さんは俳優の仕事に疲れ果てていた。こんな仕事をしていてもすり減るばかり、しかし自分には俳優しかできそうもない……。小沢昭一はそこで一念発起した。新劇俳優も芸能者の端くれ、ならば芸能というものの本質を探ってみよう。何のために芸能は生まれ、どうして今も存在しているのか。こうして小沢昭一は己の仕事のルーツを探るべく探究の旅に出るのである。 ここでいう「芸能」はいわゆる「芸能界」のそれでなく、歴史的背景を踏まえた「芸能」。俗で下世話でいかがわしく、悪場所や反社会勢力と姻戚関係にあり、軽蔑され弾圧され、しかし大衆に支持されてきた「芸能」のことだ。当然、小沢さんの興味は小屋で掛かる「板の上の芸」から「地べたの芸」へと向かう。

全国各地の門付け萬歳から、のぞきからくり、紙芝居や絵解き、説教、祭文、口寄せ、阿呆陀羅経、猿回し、香具師の口上、流し、見世物小屋、飴屋、足芸、そしてストリップ……。芸の世界は広い。相撲は古来より「芸」の範疇だったし、ホステスやソープ嬢は小沢さん曰く「接客芸」ということになる。
道の芸、商いの芸、盲人の芸、信仰の芸……デンスケ担いで日本全国を歩いて様々な芸と出会い、時に実演しながら真摯に探究したそれらを小沢さんは「放浪芸」と称し、『ドキュメント日本の放浪芸』『又日本の放浪芸』『また又日本の放浪芸』などのレコードにまとめた。高く評価され、今はCDになっているので是非聴いていただきたい。
音源だけではない。『日本の放浪芸』『私のための芸能野史』『私は河原乞食・考』『ものがたり芸能と社会』などの素晴らしい著書も多数ある。この国の芸能の歴史はイコール被差別の歴史だ。生きるために芸を磨き、そのために差別され続けた先達の過酷な足跡を追う文章から、小沢さんの静かな怒りが伝わってくる。
これらの膨大な音源や写真、インタビュー等は、面白いだけじゃなく大変貴重なもので、その世界に浸っていると、わくわくするような嬉しさとともに、たまらない寂しさを感じて、僕は途方に暮れてしまう。この国にはこんなに豊かな文化が存在していた。なのに、そのほとんどがもう消えてしまったのだ。ああ、かつてどれほど沢山の芸があったことだろう!

子供の頃、家に親父の仲間がよく麻雀しに来て、その中に小沢さんもいた。子供だから挨拶したりお茶を運んだりするわけだが、「昭ちゃん」というオジさんがまた来ているというぐらいの認識だった。
子供から見た小沢さんはシャイで無口でとっつきにくく、どこか怖い感じがした。小沢さんのあの文体や喋りは、丁寧というより不必要にへりくだってみせるスタイルだけど、その裏にテコでも動かないひねくれた意地のようなものが見え隠れしていて、子供の頃の印象はそう間違っていないと思う。
俺は芸事が好きで、演劇や映画、落語、芸能全般に興味がある子供だった。しかも少し古いものを好む本格派である。本格派は孤独だ。まわりに古今亭志ん生を語れる小学生は一人もいない。
中学生になって映画や芝居を見に行くようになり、たまに小沢さんの舞台も見たりした。その中でも希少芸人たちを集めて紀伊國屋ホールで開催された「放浪芸大会」は忘れがたい。あれは本格派少年には大興奮の体験だった。
ちなみに『小沢昭一的こころ』がスタートしたとき、親父に頼まれてカセットテープに番組を録音し、第一回目はたしか「アフリカの猥歌」の話で、中学生の俺はアフリカの猥歌を覚えてしまったのだが、あれは何だったのだろうか。いや、そんな話はどうでもよろしい。
本格派少年から本格派の大人になった俺は、その後も落語をはじめ芸能全般に触れてきた。仕事ではなくあくまで個人的な遊びである。身銭を切って駄目な芸も我慢して見る。そういうときは運が悪かったと思って諦める。たまにいい芸を見れば幸せになれる。今、思い出しても幸福感に包まれる素晴らしい経験を何度もさせてもらった。
――話が逸れた。小沢昭一が記録した芸のほとんどが消えてしまったという話だ。
諸芸が滅びる理由はただ一つ、それは大衆に「面白くない」と思われたからです、と小沢さんはクールに分析している。それはその通りなんだけど、特に「話芸」(小沢流にいえば「舌耕芸」)というものの豊かな鉱脈を、このまま捨てるのはあまりに惜しいではないか。何より小沢昭一が惚れ込んだ芸だ。歴史の風雪を経て先達に磨かれてきた芸が、そんな簡単に無力にはならないはずだ。
俺は自分の作る舞台や映画に芸能的な要素を取り入れてみた。東京芸術劇場で再演した『なまず』では、浪曲、歌舞伎、新国劇、アングラ演劇、宝塚、シャンソン、舞踏などの要素を、映画『赤の女王』では七音と五音中心の日本語の話芸のリズムを大胆に使い、本格派の僕が認める本物の芸人元気いいぞう氏にも出演してもらった。
やってみると手応えがあったのだ。観客がその芸をまったく知らないのに、たしかに何かが伝わっている。消えてしまったように見える芸でも、まだまだ底知れぬ力が残っている。つまり小沢さんが遺してくれた音源や記録は、ただのノスタルジーではなく、宝の山だったのである。

小沢昭一は実演者、文句なく一流の腕を持った実演者だ。「昭ちゃんが落語家になっていれば落語の歴史は変わっただろう」と立川談志に言わしめた男である。研究のために記録するなんざ学者の仕事、実演者の視線はまず対象をガッと鷲掴みにし、そして使えるもの盗めるものを探して走り回る。生の芸を目の前にした小沢さんの気持ちは、自然に「これをどう使えるか」に向かっていたに違いない。
というのも、小沢さんは放浪芸の仕事と並行して「芸能座」を旗揚げし、精力的に演劇活動を行っているからだ。演目を見ると、埋もれた芸能をアレンジし歴史を問い直す作品、演劇としても野心的な作品がずらりと並んでいるのである。
小沢昭一は何をやりたかったのだろう。それは新劇でもアングラでも商業演劇でもない、大衆のための新しい演劇を作り出すこと、つまり放浪芸の探究で確信した「芸能」の底力を演劇化することだったのではないか。俳優という仕事の今日的あり方に疑問を抱き、芸能のルーツを探究した小沢昭一は、地べたから反撃の狼煙を上げたのだ。
しかし若く新しいものに飛びつくことしか頭にない愚かな批評家たちにはベテラン俳優の反骨の革命は理解されず、彼らは芸能座を黙殺した(晩年、小沢さんはそのことを愚痴っている)。同時期にアングラは反近代のシンボルとして芸能を取り込んだ(批評家たちは飛びついた)。しかし小沢昭一はまったく別なアングルから芸能を演劇化しようとしたのだ。芸能座が試みた演劇変革運動は未だ正しく評価されていない。
かくして――小沢昭一の遺してくれた宝の山の前に我々は立っている。価値のわからない馬鹿にはただの化石に見えるだろう。冗談じゃない、あの小沢昭一が選んで磨いて並べてくれたんだぜ。
となれば我々がやるべきことは一つだけだ。宝を掘り出して好きなように遊べばいいのである。それが宝を輝かせる最も正しい方法だ。芸とは遊びなのだから。
小沢昭一は遊びの達人であった。馬鹿にされても殴られても弾圧されても不真面目に遊んでみせることこそが芸能の本質で、俺はそのことを小沢さんや多くの先輩たちから学んだ。

小沢さんの言葉に「新しい表現はいつも素人から生まれる」というものがある。
素人のエネルギーが新しいジャンルを作るのだ。音楽も演劇も映画もそうだった。しかし新しいものは何の脈絡もなく出てくるわけではない。表現には技術が必要で、技術とは先人の知恵の集積だ。だから俺的に言い換えれば「歴史を学び技術を持っているのに玄人になりきれない奴だけが、時代を変えることができる」。というわけで俺は「なまず映画」を旗揚げしたのである。

最後に句集「変哲」から僕の大好きな句をご紹介しましょう。あの声を思い出してお読み下さい。

校長満悦洋裁学校潮干狩    変哲

(この稿は日本映画大学『白山通信』第8号に寄稿した原稿を改訂したものです)

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